もはや歯を磨くごとき習慣に成り果てた一人ヌキヌキ作業を終え、後架にちり紙を捨てに行く。汚物を勢いよく投げ捨て、痰を吐いたのち、「死ね!」と便器に向かって無意味な言葉を添える。

 

 

 

今日は祝日だというのに、朝から研究室に行った。9月の終わりとは思えぬ、バカみたいに晴れた空が、ボサボサの頭を照らしていた。祝日に研究室など、死んでも行きたくなかったが、とある計算ソフトが、自宅のPCでは動かすことができず、仕方なしに、出向いたのである。何か、損をしたような気分に、内心、イライラしながら居室のドアを開ける。先輩が、一人いた。発達障害と思われるほどの小男である。軽く会釈をし、奥側にある自分のデスクへ向かう。俺は、この小男がなんだか苦手なのだ。一見すると、穏やかな優男に見えるが、心の奥深いところでは、劣等感が狂気的なパレードを開いているのだろうと思う。まさしく同族嫌悪である。

 

 

 

 

イヤホンで外界を完全にシャットアウトし、とりあえずの作業を終え、昼に家へ帰る。1食30円のうどんを食ったのち、残った作業を終え、暫時、ベットの上で横になる。朝からムズムズしていた、己がマラを握りしめ、昼下がりの暖かな光の中、センズリに耽る。かくして、冒頭の描写に戻る。

 

 

 

 

OLのブログを読む。

 

 

普通の男女が、普通に恋をし、週に2,3はセックスをする。前までは、こう言った人並みの幸せを送っている奴らに対して、何か理不尽な怒り(できもしない殺意)を抱いたものだが、今は、怒りどころか、これっぽっちの羨望も嫉妬も湧いてこないのである。これは、実に悲しいことである。なぜか、それは、あまりにも、今の自分とは程遠い話だからである。嫉妬や羨望などというのは、似た境遇だからこそ、感じるものだろう。むしろ、何かこう、自分を卑下しまくっているせいか、逆にひどく暖かな感慨すら、湧いてくる。好きと言い合える、お互いを大切に思える、そんな、ありきたりな幸せを思い描く想像力すら、今の俺には欠如している。

 

 

 

 

何も、自分とて、最初から、こんな生きる意味を持たぬ廃人だったわけではない。サークルで出会った女性に惚れ込み、彼女の言動に、いちいち、有頂天になったり、落ち込んだりを繰り返す、普通の恋をしていた時もあった。だが、万に一つの可能性もなく、ただひたすらに否定(というと、ちと大げさな言い草ではあるが、オブラートに包まなければ、「あなたではダメ」と言われたのと同義であろう)をされ続けた結果、かような心境になってしまった。弱いと言われれば、それまでだし、次に向けて努力しようよ、と言われれば、確かにその通りであり、俺には何も言い返す言葉はない。

 

 

 

 

尻切れトンボだが、終わりにする。