会社入って5kg太った

グ〜〜〜という自分のお腹の音でハッと我に帰り、時計を見る。朝からずっと楽譜を書いていた。底にコーヒーのカスが凝り固まったコップを無意味に振ってみる。もちろん何も起きやしない。外は雨が降っている。しわくちゃの布で指板の上を拭き取って、マンドリンをケースにしまう。もう2年以上入れっぱなしにしている乾燥剤を見て、さすがにそろそろ買い換えるかと思う。イケガクの通販サイトを開き、乾燥剤と爪やすりを購入する。あっという間に沸いたお湯をカップ麺に注いで、割り箸を重石代わりに蓋の上におく。


ここ2ヶ月ぐらいは、ひたすらマンドリンを弾いていた。会社の帰り道、駅のホームで見かけた大学生くらいの青年が背負っていたピカピカのギターケース、その後ろ姿を見たときに、とある光景がフラッシュバックした。思い出したのは、サークル帰りにママチャリを押しながら友達と家に帰るだけのなんの変哲も無い景色だった。京葉線のスタンドバイミーみたいな踏切と、閑散としたみどり台駅と、バカでかいナンと猫がいるカレー屋と、俺は街の景色を思い出していた。快速電車が過ぎていく、ピカピカのギターケースはいつの間にか見えなくなっていた。思い出した景色が焼き付いて離れなかった。空には朧月が浮かんでいた。

電車の中で「成功哲学」の自己啓発本を読むマザコン顔のメガネ男を睥睨しながら、心の中で「くっだらねぇ本読んでんじゃねぇぞ空っぽインテリが」と罵る。だいたいいつも思うのだが、この類の本を読んでいる奴は、なぜかブックカバーをしていないことが多い。おそらくツイッターの自己紹介欄をびっしり書くタイプだろう。何がMBTIだよ。こちとら枠にハマりきらねぇキチガイなんでぇい。舐めんじゃねぇぞクソガキが。北海道カンフーではっ倒すぞ!!チャッ!チャー!チャー!にゃああああああ!!!マジでよ!なんでみんな、そんな急に社会人になった途端大人ぶるんだよ。チキチキボーンで喜んでたあの頃を思い出せよ。ワインなんかファンタと一緒なんだから。

会社に入って5kg太った。ストレスとか、育ち盛りとか、まぁ理由は色々あるのだろうけど、煙草をやめたのが一番デカイかもしれない。「快楽の穴を埋めるのは快楽しかない」とカントが言っていたように(多分言ってない)、ニコチンホールの穴を埋める為には、gluttony(暴食)の大罪を犯すしかなかったのだろう。もう煙草をやめて半年以上が経つ。あんなに美味かったはずなのに、最近は喫煙者のオッさんの激臭に鼻をつまんでいる。マジでうんこの匂いがする。コーヒ、加齢臭、煙草、、、この世の終わりである。映画を見ながら砂糖まみれのドーナッツを牛乳で流し込む。これぞプロレタリアの革命、新しい世界の夜明けである。砂糖菓子の弾丸は誰にも止められない。

※ニコチンホールとは、ニコチンが切れた時に喫煙者の脳みそに発生する空虚感、虚脱感をさしていう筆者の造語である。ニコチンが補充されると、ハッピーハッピーハッピーハピハピハピハピーという陽気な音楽と共に穴が塞がっていくのである。まことに滑稽の極みである。

いやはや失敬、話が逸れた。俺はピカピカのギターケースを背負った青年を見て楽器を触りたくなった。もう一回、本気で音楽に取り組んでみたくなった。なんで、たかがそんな景色でそんなことを思ったのかは分からないが、過去の自分に、胸を張って「これが未来の俺だぞ!」と言えるような自分になれていなかったからかもしれない。しょうもない女のケツを追いかけたり、化石燃料を無駄遣いしたり、この一年俺は自分を見失っていた。気づけば周りに誰もいなくなっていた。結局音楽なのである。いつまで経っても俺は音楽にすがりつくのである。

ちっぽけな決意と大層な覚悟を抱いて、俺はケースからマンドリンを取り出した。もう見失わないぞと、と自分に言い聞かせながら、下手くそなトレモロを奏でる。頭に焼き付いて離れなかった景色に再スタートの意気込みを込めて曲を書いていく。誰がなんと言おうが、どれだけ斯界から無視されようが、自分が自分でいられなくなったら生きている意味なんてないのである。桜なんて見なくていい。友達なんていなくていい。仕事もしなくていい。俺には音楽がある。(←!!!!仕事はしろよ!!!!)

おわり。