たまには昔話でも

 

彼と初めて会ったのは、3年前の春先だった。サークルの新入生会にやってきた彼は、明らかに他とは違う、禍々しいオーラを放っていた。メガネをかけ、エラの張った顔、小学生がシャーペンで適当に書いたかのような名状しがたい平均的な髪型、恰幅のいい体、どこか翳りのある小さな目。垢抜けてない紺のシャツと、ベージュのパンツは、陰気な風貌とは裏腹に、きっちりとアイロンがかけられおり、実家暮らしであることが推察された。

 

 

 

俺は、大学の四年間、マンドリンサークルに所属していた。このサークルは、誰と誰が、穴兄弟になっただとか、先輩カップルがデキ婚しただとかいうゴシップとは無縁の、平和を絵に描いたような、至極牧歌的なサークルであった。育ちの良いブルジョワ(中流階級)が多かったが、中には、本物の坊ちゃんお嬢ちゃんもチラホラいた。

 

 

 

楽経験が全くない彼が弾く拙いマンドリンの音色は、どこか寂しい音がして、ふんわりとした春の風が、開け放たれた教室に吹き抜けていた。たまに、こういった、明らかにサークルの雰囲気と不一致な人間がやってくる。パターンとしては二つ。半年以内に、行方をくらますか、どうにか自分を変化させていくかである。大半が前者のパターンで、きっと、彼も、半年以内に、やめてしまうのだろうなと思った。自分以外の部員たちは、明らかに、彼に対して、冷ややかな態度をとっていた。まるで、「君のような人が来る場所ではない」、とでも言っているかのような。一応上っ面だけは、歓迎の色を見せてはいるものの、薄皮一枚の下で、彼のことを下に見ていた。

 

 

 

そんな俺の推論は、あながち間違っていなかったようで、彼がめでたく入部した後も、彼に近づこうとする人間は、一人もいなかった。梅雨に入ると、新入部員との親睦目的で開催される合宿があるのだが、それに向かう電車の中、彼は、一人、集団から離れて、薄ぼんやりと天井の広告を見上げていた。もうすでに、新入生の中では、いくつかのグループが出来上がっており、中には先輩とのパイプを構築し始めたレベルの高い人間もいた。そんな中で、彼は、一人、天井の広告を見上げていた。

 

 

 

俺は、彼には話しかけた。開口一番、好きな音楽を聞いた。彼は、洋ロックが好きだと言った。フランツフェルディナンド、オフスプリング、フォールアウトボーイetc.俺はその返答を聞いた瞬間、彼と仲良くなることを心に決めた。海沿いを緩やかに南下していく2時間近い旅路は、あっという間に過ぎていった。列車が、目的地に近づいていくにつれ、彼との距離も少しずつ縮まっていった。

 

 

 

彼は、留年をしており、学年としては一つ下だが、同い年であった。「そりゃ仲良くなれないよな」、と思いながらも、理由はそれだけじゃないなと思った。彼は明らかに、他人とのコミュニケーションに慣れていなかった。形式張った不自然な問答、定まらない目線、まるで、一年前の自分を見ているようだった。

 

 

 

宿屋で、昼食を食べ終えた、午後の時間、新入生たちが食後の睡魔と格闘しながら、一生懸命に練習している中、彼の姿だけが見当たらなかった。不思議に思い、部屋にいってみると、彼は、しっかりと布団を敷いて寝ていた。俺はそれを見て、笑ってしまった。「今ここで寝ていたら、彼彼女らに、どう思われるのだろう」といった、そんなことは、微塵も考えていないような、実に気持ち良さそうな寝顔であった。

 

 

 

なぜこんなにも、彼と仲良くなりたいと思ったのか、それは、単に音楽的嗜好が部分的に一致していたということだけが、理由ではない。俺はサークルに入り、色々と変化した。俺のような底流ダメ人間が、ペシミストが、どうにかこうにか、ブルジョワの人間たちとの間に折り合いを見つけ、うまくできるようになった。それによって、今までに見えなかった景色や感情を獲得し、僅かながらも人に優しくなった。真っ暗だった時間の先端が、明るいとまではいかなくとも、大した問題じゃないと思えるようになった。だから、彼にも知って欲しかった。社会との間に折り合いを見つけて欲しかった。たとえ、ロックスターにダサいと言われても、近くの人と、一緒に笑って欲しかった。

 

 

 

 

そんな、俺の思いとは裏腹に、彼は、突如、姿を消す。木の葉が紅や黄色に染まり、イチョウ並木の下に落ち葉が積もり始めた、10月半ばのことだった。ついこの間、彼の歓迎会と題して、焼肉をしたばかりだというのに、彼との連絡が一切取れなくなった。

 

 

 

 

それから、半年経って、新たな春がやってきた。ふんわりとした風が吹き抜ける教室は多くの新入生で賑わっていた。でも、彼の姿はどこにもなかった。こうなることは分かっていたが、少し寂しかった。誰も彼もが、「彼なんていう存在」が、最初からなかったような顔をして笑っていた。それが余計に、彼のことを思い出させた。

 

 

 

後日、彼は、サークルの女性二人を食事に誘い、彼女達から、本気で気持ち悪がられるというプチ事件を起こす。俺は、偶然にも、その誘われた女性が、彼の陰口を言っている現場に遭遇してしまったのだが、本当に悲惨であった。顔の良くない男が、少しばかりチヤホヤされている女性にアタックすると、影でこんな風に言われてしまうんだなという、残酷な現実を目の当たりにした。だが、彼女らの気持ちもわかる。誰にも言わず突如いなくなった男から、突然、食事に誘われたら、気持ち悪いと思うのが普通だろう。飛ぶ鳥跡を濁さずどころか、めちゃくちゃににフンをしまくって、どこかに飛んでいった彼だが、今は、どこで何をしているのだろうか。オフスプリングを聴きながら、そんなことを思った9月の半ばであった。