禁煙初日

 

最後に煙草を吸ったのは、今日の午前1時。つまり半日以上の禁煙に達したことになるが、これは今までの歴代最高記録である。つらいか、そうでもないか、と言われたら、「尋常じゃないくらいに辛い」。一日中煙草のことを考えていたと思う。脳みその一部に穴が空いたような違和感がずっとある、俺はこの穴のことを勝手に「ニコチンホール」と呼んでいるが、こいつが本当に厄介で、俺から思考と、やる気と、楽観を根こそぎ奪い去る。「もういっそのこと殺してくれ」。と思うほどのニコチンホールの苦しみ。何もかもが、煙草に見えてしまう「幻覚」と脈拍が正常に戻っていく「現実」のはざまで、一日中もがき苦しんだ。

 

とりあえず、初日は気合で乗り切った。途中どうしても我慢ならなくて、二回だけ、ニコチンガムを噛んだ。このガムは、以前禁煙に挑んだ時の敗残物であり、20個で3千円という、ぼったくり課金アイテムである。なので、できるだけ、どうしてもという時以外は使えない。

 

朝が一番やばかった。俺は、毎朝、起きてすぐに、本当に、トイレより前に、煙草を吸う、そう、煙草を吸いながら、朝立ちが鎮まるのを待つというのが、毎朝のモーニグルーティンと化しているのだが、この「目覚めの一本」を摂取できないというのが、本当に拷問であった。煙草を吸えないというか、もう一本も残っていないと分かっているので、ベッドから起き上がる気力も湧かないのである。俺は、毎朝、煙草を吸うために、それだけをモチベーションに、なんの面白みもない、けった糞悪いだけの「朝」をどうにかこうにか始解させていたのである。

 

「くたばれ」、と意味不明な文句、まるで三歳児がおもちゃをねだる時のような、本能的な文句を垂れながら、なんとかベットからすり抜け、顔を洗ったはいいものの、またここですぐに、ニコチン誘惑タイムがやってきた。いつもの癖で、インスタントコーヒを淹れてしまったのが間違いだった。カフェインとニコチンの組み合わせは、苦味と苦味という一見なんの変哲も無い融合だが、ある種そこには通常では起こりえないような、連鎖的なラジカル反応とでもいうべきものが存在していて、そのシナジーと言ったら、もはや合法ドラッグである。

 

そんなこんなで、何気無しにコーヒーを一口飲んだ途端、それがトリガーになって、えげつないほどに、最初の一本の比ではないくらいに、煙草が吸いたくなった。雨が降っていなかったら、きっとコンビニへ行っていたと思う。時には寒くて、冷たい天気に救われることもあるのだ。それでも、しばらくの間、玄関で意味もなく、フラフラしていた。決心の揺らぎを全身で表現するかのように、体をフラフラとさせていた。やがて、腹を括り、歯ブラシに歯磨き粉をつけたのである。

 

 

 

なぜ、禁煙をしようと思ったかというと、単純に、「健康と金」である。10月から、各種タバコが値上げになり、あの旧三級品のわかばやエコーですら500円の大台に乗ってきた。国は、完全に喫煙者のことを熟知している。いくら値上げしようが、たとえ一箱千円にしようが、吸うやつは吸うのである、いや、吸わざるを得ないのである。なんとも卑怯極まりない外道の手である。国にとって喫煙者などというのは、無限に金を生み出すオアシスでしかない。あんな葉っぱを詰めただけの代物が500円というのは、子供でもわかる詐欺なのだ。煙草の原価などせいぜい100円ちょいなのである。

 

俺は、学生(大学院生)でありながら、全くバイトもせず、親の金で煙草を買い吸いしているど畜生なのだが、そんなチンカス男でも、少なからず、罪悪感というものは感じていた。こないだ実家に帰省した際に、もうすぐ還暦の母親が、看護婦でダブルワーク(本当はしてはいけないらしい)をやっていると知った。申し訳ないないなと思いつつ、バイトをする気にもなれず、かと言って煙草もやめられずで、最悪の現実逃避を繰り返してきた。親には、何度も煙草を止めるよう言われた。特に父親は、元ヘビースモーカーというだけあって、あの、禁煙成功者特有の、過去の自分のことを完全に棚に上げた、煙草へのネガキャン狂信者であり、その言葉の激烈ぶりときたら、どこか哀れですらあった。

 

頭に引っかかっていたのは、金だけではない。タバコからくる健康被害は身を持って感じてたいた。すぐに息は切れるし、タバコが切れれば、頭は鈍るし、髪は抜けるし、肌は荒れるしで、もうやりたい放題で、完全に俺の体と精神は煙草に蝕まれ腐っていた。

 

 

今日は、夜飯に、一人でしゃぶしゃぶをしたのだが、一口目で感動してしまった。豚肉の豊かな甘味と、濃縮したポン酢の酸味が、口いっぱいに広がったのである。しゃぶしゃぶって、こんなに美味しかったのか。禁煙後の体感として、よく言われる「飯の美味さ」だが、これは本当だった。完全に味が違かった。美味すぎて笑った。

 

 

明日からが本当の戦いだろう。朝に比べたらだいぶ凪いたが、まだ煙草を吸いたいという気持ちは消えない。紅蓮の弓矢という曲からの引用になるが、「何かを変えることができるのは、何かを捨てることが出来る者」とは、よく言ったもので、本当にその通りであろう。今の状況で聞くと、巨人駆逐の歌というよりは、禁煙応援ソングのように聞こえてしまうが、確かに、なんでもない1日が、禁煙という胸糞イベントのおかげで、「戦闘」に成り果てた。こんな這いずり回っているだけの悪戦苦闘が、何かの光明になるとは到底思えない。でも、このようやく手に入れた「悪戦苦闘」を無駄にはしたくない。この一日は、そう簡単には手に入らないのである。