四月

 

昼過ぎに起きて、冷蔵庫を開け、カルピスの飲みさしを取り出し、それをラッパ飲みしながら、カーテンを開ける。汚たない空を見上げながら、ゲップをして、大きく伸びをする。台所に向かい、換気扇をつけ、灰皿の中をかき分けてシケモクを探す。ちょうどいい塩梅のものが残っていて、ライターで火をつける。ベートーヴェンのエグモントを流しながら、深く吸って、薄い煙を換気扇に向かって吐きだすと、ようやく脳みその電源が入った。

 

 

 

一年は、十二月で終わるが、気持ち的には、四月が年の初めに感じる。この始まりの日に、一年の抱負や、気概などを高らかに述べれば、運気が上昇するのかもしれない。だが、生憎、そんな前向きにものを言う、気力はとうの昔に失ってしまった。ただただ、耐え忍び、刹那的に生きていくだけ。来年も桜を見て綺麗だなと思えれば万々歳で。

 

 

 

告白すると言っておきながら、昼間から布団の中でマラを握りしめていたり、禁煙すると言っておきながら、シケモクを探していたりと、つくづく、己の竜頭蛇尾には、呆れてしまう。一度くらいは、徹頭徹尾で、何か物事を成し遂げてみよ、と言いたくなる。

 

 

 

そもそも、主義や理想が明確でないから、こういったことになるのだろう。オポチュニストもいいところである。右でも左でも、キリストでも、何か自分の軸になるものを掲げて、鼓吹してれば、自ずと道が開けてくるはずである。何もないから、いつまでも袋小路で、拱手傍観、壁を見上げているのだろう。そして、何の成長もせずに、歳だけとって、体が壊れていく。何と哀れな人生だろうか、呵々。

 

 

 

 

就職をしようと思っていたが、インターンをブッチしたり、酒を飲みながらエントリーシートを書いたりとしているうちに、一年後に働いている自分をどうしても思い描けなくなって、大学院に行くことにした。研究室は、成績優先枠には勿論入れず、ジャンケンでも負けまくり、結局、最後の最後まで残って、余り物の人気のない研究室になった。運も実力もない、こんなゴミでも受け入れてくれた先生方には感謝したい。

 

 

 

 

その研究室は主にエンジンを研究しているのだが、中古車販売をやる高卒の親父の影響で、工学部の機械工学科を選んだ、三年前のことを思い出し、これはきっと、神様が、それをやれと言っているのだと思った。エンジンを研究することになったと言うと、親父は、少し照れながら喜んでいた。

 

 

 

 

夏頃からステーキ屋でバイトをしていたが、年末ぐらいから、シフトの数を減らされ、洗い場に左遷され、ぞんざいな対応をされたりと、間接的な攻撃が始まり、もともとクソほどもなかった労働意欲は更にすり減って行った。コーヒーの入れ方がわからないと駄駄を捏ねるジジィに、やり方を教えてやっていたら、説明を聞き終えた後に、「お前は日本人か? もっとシャッキとしろ」と言われたり、声がでかいチビの女子高生の前で、食器をばらまいて、嘲笑われたりと(一つも拾うのを手伝わず、床を這い回る俺を見下していた)、散々であった。間接的な攻撃を受けたのは、結局のところ、いつまで経っても手順を覚えない、挨拶の一つも気持ちよく返せない、人との間にいつまでも垣根を作っている自分が悪いのであって、店側からすれば、獅子身中の虫けらだったのだろう。けれども、前の職場のように、罵詈雑言などの、わかりやすい、嫌がらせや、パワハラはなかったので、ダラダラと続けていた。だが、こないだ、一週間経ってもシフトの連絡が返ってこなかったので、ついに、最終宣告かと思い、憂き店にいとまを告げた。前回は「いい加減にしろ、殴るぞ」とバカみたいなことを言われてやめたが、今回は、大人の対応をされた。就職をしなかったは、このことにもよる。

 

 

 

 

怜悧な読者諸君は、このような社会不適合者、非国民のような、私を見て笑っているのかもしれないが、どうか、そのように笑っていてほしい。それだけが救いである。あなたが笑ってくれないと、私は悲しいだけである。あなたが笑ってくれれば、私も、笑っていられる。

 

 

 

今ままで生きてきて、いろんなことに手を出したが、どれも、一籌を輸してきた。畢竟、俺のような凡人は、社会の歯車の一部になることしかできないのだろう。

 

 

 

 

かにちゃんは、元気なのだろうか、待てど暮らせど返信は返ってこない、手紙でも書こうかしら。草々頓首。

 

 

 

 

ずっと読みたかった、中島らもの小説、「今夜、すべてのバーで」をこないだ偶然、ブックオフで見つけた。溜まっていた古本もやっと読み終えたので、次はこれを読もう。中島らもの、

 

 

”こうして生きてきてみるとわかるのだが、めったにはない、何十年に一回くらいしかないかもしれないが、「生きていてよかった」と思う夜がある。一度でもそういうことがあれば、その思いだけがあれば、あとはゴミクズみたいな日々であっても生きていける。”

 

 

 

という、言葉にすがりついてきた。携帯の待ち受けにもした。大好きな言葉の一つである。この一年も、これを頼りに生きていこう。

 

 

 

 

 

財布の中を覗くと、二束三文と、大量のレシート、この硬貨を握りしめて、乾坤一擲の勝負にでも出てみるか、はたまた、四ヶ月放ったらかして、鳥の巣のようになっている頭をさっぱりしに行こうか、いや、傘がないから、明日にしよう。雨の日はこれだから。