FUCK

 

マッチングアプリを始めて、早一ヶ月。10人ほどとマッチングするも、メッセージ以上の進展はなし。いい感じだったのに突如ブロックされたり、返信が来なくなったりと、まともな奴が一人もいない。金を払ってストレスを浴び続けている。金を払って大して可愛くもない女の機嫌を取っている。金を払って、今日もまた俺は悲しくなっている。

 

 

 

マッチングアプリのストレスのせいか、先週、インフルエンザに罹った。40度近い、とんでもない高熱が出て、一人部屋で寝込んでいた。何度経験しても、独り身の風邪ほど寂しく悲しいものはない。頭痛や咳よりも、孤独で心が折れる。寒くなって久しぶりに押入れから出したパーカーは埃っぽい匂いがした。どうやら季節は変わったらしい。

 

 

 

バイクを購入したので、土日のどちらかはツーリングに行くようになった。もちろん、「一人で」だが。今日は、お寺に行った。割と有名な場所だったらしく、金を取られた。神を拝むのにも金がかかる。本堂までの坂を昇って行く間、道の傍に、いくつもの仏像が置かれていた。何もかもを見透かしているような澄んだ眼でこちらを見つめていた。全ての煩悩を焼き払って欲しかった。できることなら殺して欲しかった。希望を与えるのではなく、絶望を肯定して欲しかった。

 

 

 

 

結局、1500円払って、神はなにも俺に語らず、下山中に見たズブズブのカップルにイライラして俺の日曜日は終わった。死ね!!!セックスのことしか頭にない猿が来る場所じゃない!!神聖な場所を汚すな!!!家に帰ってアナルセックスでもしてろ!!!!

 

 

 

 

マッチングした年上のチョイデブにブロックされ、俺の自己肯定感はほとんどなくなった。「俺はこんなブスにも相手にされないのか」。そう思うと、悲しくてならなかった。ブロックされるのはまだ分かりやすくていいのだが、質問に答えない奴が結構な数いてビックリする。あとは話を広げない奴。本当にふざけんなよ!マジで!興味ないならマッチするな!勘違いするなよクソブスが!!!!!!後ろ姿だけでもブスなのがわかるんだよ!!!

 

 

 

どうやら俺は本当にモテないらしい。分かってはいたが、いざ現実を突きつけられると、言葉が出てこない。分かってはいた、分かってはいたが、ここまでとは思っていなかった。必死こいて勉強して大学行ったのに、結局は遺伝子に負けた。身長、造形、なにもかもが平均以下。クソが!!!死ね!!!

 

 

 

だが、冷静になって考えてみると、今の俺に必要なのは質ではなく量である。どんなブスだろうが、口が臭かろうが、ワキガだろうが、一人の女を愛し、愛されるという経験が今の俺には必要なのである。そう考えると、あまりにも無謀な目標という訳ではない。笑われて、笑われて、強くなる。と太宰治は言っていたが、お前はモテてるじゃねぇか。だから嫌いなんだよ太宰は。人間合格だよお前は。人間失格なのは俺だよ。

 

 

 

なにもうまくいかなくて、嫌になった。自分が嫌いになった。世界が嫌いになった。いつまでこんな劣等感ばかり抱えて生きていくのだろう。寒くなった。もうすぐ冬がくる。冷たい死の季節がやって来る。

25になること

 

恥も外聞も捨て、マッチングアプリを始めた。先月、齢をまた一つ更新し、25歳となったわけだが、今ままで臭いものには蓋をしろ精神で、ずっと見て見ぬ振りをし続けて来た自分という存在に、如何にもこうにも、向き合わざるを得ない年齢になってしまった。24になったときは、「まだ俺は、若い。なんとかなる」と思っていた。だが、25になった途端、「もう時間がない、彼女を作ろうとしないとやばい」と思った。彼女を作る、のではなく、作ろうとするというのが、ミソである。

 

 

環境を変えれば、何かが変わると思っていた。だが、全く新しい土地で約半年生きてみて思ったのは、環境は数あるパラメータの中の一つにすぎないということだった。俺の場合、問題となっていた変数は、環境ではなかった。環境なんかよりも、変えるべきなのは、自分の考え方であった。そのことにようやく、気がついた。当たり前といえば、当たり前である。引っ越しただけで、恋人ができれば、誰も苦労などしない。

 

 

もちろん、定職に就き、研究という名の無限無給労働から解放され、幾許かの、お銭をもらえるようになったという、ステータスの変化は、乾ききっていた精神に幾らかの潤いを与え、腐りきった心に少しの勇気を与えた。だがしかし、俺はまだ、一歩を踏み出すことをためらっていた。要するに、自信がなかったのである。傷つくのが恐かったのである。全くもって人間は矛盾した生き物である。ホメオスタシストランジスタシス、その二つが常に相剋しながら、様々な選択肢に決定を下していく。

 

 

どうしても踏ん切りがつかず、まずは煙草を辞めようと思った。我ながら、これはかなり聡明な選択だったと思う。恋人を作る(セックスをする)という目標に対して、その成功確率、時間効率を上げる上で、重要な要素であった。これまで色々な方法を試し、その度に、自分の不甲斐なさに嫌気がさして来たが、どうにかこうにか、今、1ヶ月半の禁煙に成功している。結句のところ、禁煙において重要になるのは、小手先のテクニックではなく意思の強さである。と、偉そうに言っているが、よくよく考えてみると、童貞のヘビースモーカーなんて、どうしようもない、ただのカスである。

 

 

さて、そうして、いざ初めてみたマッチングアプリだが、現実は想像していたよりも厳しそうである。まず、プロフに載せる写真がなかった。ロクに友人のいない俺には、自画像に使えそうな、シャレオツな写真が一つもなかった(自分が全くシャレオツでないことが一番の問題なのだが)。唯一アルバムのフォルダにある写真といえば、寝癖まみれの死んだ目でカメラを見つめる、家族写真のみ。こんなものをプロフに使えば、釣れるはずの魚も釣れないだろう。まさしく、針をつけずに、糸だけ垂らすようなものである。土台、そんなのは無理な話なのである。

 

 

仕方がなしに、サークルのグループラインにあるアルバムから、数枚引っ張って来た、なるべく写りの良い写真をプロフに使うことにした。もう3年も前の写真なので、下手な画像加工と同等なプロフ詐欺に値すると思われるが、まぁ、大目に見て欲しい。

 

 

初っ端の感想としては、やはりというか、想像していた以上に、スペック合戦である。女性側の内訳としては、明らかな美人が2割、曖昧な美人が6割、絶対に触れてはいけない社会の闇が2割といった感じである。明らかな美人と社会の闇には、はなから眼中にないとして、6割を占める曖昧な美人といかにマッチングできるかが鍵となる。余談になるが、検索機能で、ハンターハンター好きというフィルターをかけた時が最も社会の闇に当たる確率が高かった。

 

 

今のところ、始めて3日で70人ほどにいいねを送ったが、マッチしたのは一人のみ。その一人も、返信がこないので、実質0/70である。ちょっと自信がなくなる数値である。おそらく、高身長イケメンに女性側のほとんどが集中しているのだろう。それは全くもって当然の話である。何も思わないといえば嘘になるが、正直、嫉妬で全身が燃えそうであるが、それだけは本当にどうしようもない。結句のところ、男も女も、与えられたカードで戦うしかないのである。最初から手札の強い奴もいれば、最悪の手札から始まる奴もいる。羨ましがる前に、頭を使って、対策を練ればならない。幸い、頭脳だけは、そこらのヤリチンには負けていない。(と信じたい。

 

 

 

日も暮れて来たので、今日はこの辺で。また何か進展があれば、書くとする。

 

秋に沈んでいった女の面影を断ち切り、ようやく、新たな一歩を踏み出した。25という数字が一つの転換点になることを願っている。どうしようもなく無様な人生にさようなら。虚構でもなんでもいい、いい加減、人並みの幸福を手に入れたい。三島由紀夫は言った。たとえどんなチンケな目標でも、目標に向かって努力する過程にしか、人間の幸福は存在しない。

 

 

 

2023/3/12

 

春から関西へ行く。引越しに向けて、部屋を片付けた。いらないものを捨て、本はほとんどブックオフへ売った。楽器は先に出してしまった。今、部屋にあるのは、必要最小限の荷物だけ。こうしてみると随分広く感じる。

 

先日、野暮用があり、後輩の家へ行ったら、見知った顔の男女の写真が額縁に入れて飾ってあった。背景が背景だっただけに、その瞬間、全てを察して、特に何も聞かなかった。ガストで晩飯を食って、外に出ると、「なんであの写真のこと聞かないんですか?」と言われた。正直いうと、俺は飯を食っている最中にその写真のことを完全に忘れていた。「あぁ、あれね。もう聞くだけ野暮かなと思って」と言うと、「実は僕たち一年前から付き合い始めたんですよ」と。「そうなんだ。全然気づかなかったわ」。人の不機嫌や不調はすぐにわかるのに、こういうことに対しては本当に鈍感で、これだから俺ってダメなんだろうなぁと思った。春めく夜風はまだ少し冷たくて、後輩の顔は気のせいか、いつもより華やかに見えた。

 

真面目に大学に通い、大学院にも行った。学校の勉強はあんまり楽しくなかったが、主体的に学ぶ楽しさを知れた。外側から見た社会性と一般性は、高校の時より身についたと思う。だけれど、内側の深淵度は昔よりも深く暗くなった。中島らもは言った。「生きていてよかったと思える夜が一度でもあれば、それだけあれば、あとはゴミクズでも生きていける」。そんな春めくような夜を俺はまだ知らない。

 

この街には色々と世話になった。毎日下ばかり見て生きてたけど、卒業式のときぐらいは、堂々としていようと思う。もう少しで桜が満開になる。静かな諦観と根拠のない希望。桜はいつも俺にそんな心象を与える。

 

 

 

日の目を見ない

 

夜風が気持ちいい季節になってきた。風呂上がりに低脂肪牛乳をパックのままがぶ飲みし、軽くげっぷをする。ヤニ臭いタオルで頭を拭きながら、パンツ一丁で、ベッドに腰掛ける。暦はいつのまにか10月で、6畳一間の部屋には換気扇の音だけが響いている。久しぶりに、こんなゆっくりとした休日を過ごした。ふんわりとカーテンが揺れて、火照った体を、ひんやりとした風が過ぎていく。

 

オーケストラの活動や、学会の準備など、息をつく暇もないほど、せわしない日々を生きていた。特にこれといって、特別なことは何もなかった。恋に落ちるわけでも、友達が死ぬわけでもなく、たまに嬉しいことがあって、たまに腹が立って、でも平均したら、ぼんやりと、いつのまにかゼロになっているような、そんな感じの時間だった。

 

オーケストラの演奏会で、自作曲を2曲演奏した。そのうち一曲は、過去の失恋をもとに作ったもので、ダジャレからとった、ふざけた名前の曲である。演奏会には、当該女性も見にきてくれていたが、一言として、何も話しかけることはできなかった。あちらも、あちらで、相当気まずかったと見え、遠い場所で他の人と談笑をしていた。ドラマと違い、特に見せ場もなく、淡々と物語が流れ、静かに幕が降りていく。あるとすれば、モヤモヤとしたはっきりしない余韻だけ。遠くから盗み見た女性の後ろ姿は、前よりも少しだけ大人っぽく見えた。

 

 

洗濯物を干し終え、寝巻のまま、コンビニへタバコを買いにいく。一重まぶたの、廃棄弁当を食っていそうな陰気臭い女性店員に、タメ語を使われて、一瞬イラっとしたものの、「二つで」と返す。バカみたいに晴れた秋空が、全てを飲み込んでいく。俺はこれからどうやって生きていくんだろうな〜と急に哲学じみたことを考えながら、軋むペダルをゆっくりと踏み込んでいく。きっと、このまま日の目をみることなく、死んでいくんだろうな〜〜。タバコの息を吐き出して、揺れる洗濯物を見つめていた。

 

 

 

youtu.be

 

 

2022/7/10

 

夜の静かな風が吹く頃に、信号を待っていると、隣にいた女子高生たちが、恋バナをしているのが耳に入って来た。「わかる、顔がいい」、「〇〇くん、いいよね」。などと。買ったばかりの乾電池とファブリースの液体をポケットの奥に押し込んで、いくら押し込んでも、はみ出して、早く信号青になってくれねぇかなと思う。そっか夏だもんな。夏なんだもんな。いつのまにか。遠くで轟音が鳴って、信号が青になった。空が光った。

 

 

部屋でタバコを吸っていたら、チャイムがなり、訝しみながら出てみると、宗教のチラシを持った小太りのおばさん。「おやすみのところすいませ、、」バタン。挨拶もそこそこにドアをぴしゃりと閉めて鍵をかけると、向こう側から何やら訳の分からない呪詛の念が聞こえて来る。アホか、と思いながら、もう一度タバコに火をつける。今日はまた一段と暑い。何もしていないのに背中が汗ばんでくる。ツタヤにDVDを返しにいくのと、ブックオフ漁り、あと半ば強制的に入会させられた機械学会の入会金を払うのと、、、来週の研修会の事前課題、と言った感じで、頭の中で、土日のうちにやらなければいけないことをリストアップしながら、整理していく。いや、それにしても暑い。リストの最後に「アイスを買う」を追加して、立ち上がり着替えを済ます。もっぱら最近は日よけの意味と寝癖隠しで、帽子をかぶっているのだが、今日も今日とて、なんとも垢抜けない、小学生のような帽子をかぶり、ダサいサンダル引っ掛け、外界へ。

 

 

扇風機の風を間近で(ほぼ体に押し当てながら、晩飯の麻婆豆腐をかっくらい、テキトーに切ったゴロゴロトマトで口直し。水をラッパ飲みし、ひたいに滴る汗をティッシュで拭って、食器を流し台へ。タバコを一本吸い、しばし呆然としたのち、食器を洗い、またぞろタバコに火をつける。壁にいた小さな蜘蛛を圧死させ、ゴロゴロと横になる。

 

2022/6/3

 

夕立の中、傘をさし便所へ。実験室にはトイレがなく、用をたすには一旦外に出て、隣の建屋に行かなければならない。眠気と疲労が蓄積し、全身がどんよりと重かった。珈琲と油が混ざったような匂いの不健康な尿が、真っ白な便器に迸る。軽く手を洗い、もうかれこれ一年以上洗っていない泥や燃料がべったりと染み付いた作業着の袖で、水気を落とす。

 

片付けを済ませ、少し早めに帰路につく。雨上がりの薄ら寒い道、写真を取りながら、タコのようにくっつき、微笑見合うアベック達を、後ろから呆然と眺めていた。どうしようもない嫉妬と、負け惜しみからくる呪詛の念をこれでもかと唱えてやった。ぐちゃぐちゃに潰れて死んでしまえ、と。籠が根こそぎ取れたママチャリを猛スピード走らせ、長い坂道を登っていく。この坂道を越えれば、あと少しで家につく。

 

帰宅したのち、カバンに詰めた食料を冷蔵庫に放り投げ、手も洗わずに、立て続け煙草を三本吸う。しばし呆然としたのち、服を脱ぎ捨て、自分の脇の臭いに辟易としながら、シャワーを浴びる。焼うどんと卵かけご飯を豚のようにかっくらい、またぞろ、タバコをふかす。そこでようやく、スイッチが切れたと見え、全身にえも言わぬ、虚脱感が駆け巡った。盛大なげっぷと放屁で廃人的レクリエーションを締めくくり、机に向かう。西村賢太著、「やまいだれの歌」を貪るように読む。やはり、、面白すぎる。格が違う。卒業もしてないくせに、もしくは、文系などという下等民族のくせに、さも自分はエリートだと思い込んでいるような、けったくそ悪いカスインテリどもが書く、表紙だけ飾り立てた中身のない本、最後まで読んだところで何も残らない本、、などとは比べ物にならない。もうかれこれ10年以上読み続けているのに、全く飽きがこない。そしてこれ以上の小説家に未だ出会わない。死んでしまったのが本当に惜しい。改めてそう思った。もう彼の新作を読めないと思うと、なんとも寂しくて寂しくてたまらない。カーテンをなびかせる夜風が、ひんやりと柔らかく、暗い部屋を吹き抜けていく。使い古した栞がそっと揺れ、惜しみつつも、最後のページをめくる。

 

 

 

 

 

 

2022/4/9

 

自転車を漕いでいた。少しだけ汗をかいた。過ぎていく光景。桜が、うららかな春の風に揺れていた。ミニスカのお姉さんが、カゴのない僕のチャリを見て、笑っていた。ブックオフを探索したが、目当ての本は見つからず、自販機で100円のメロンクリームソーダだけを買って、家に帰る。

 

 

 

とりあえず、第一志望の会社から内定をもらえたので、就活を終えた。来年は関西に。ここで過ごす最後の一年になる。

 

 

 

毎日、一人で面接練習をやっていた。一人でzoomのルームに入り、白い壁に向かって何度も挨拶をし、地味すぎる作業を繰り返した。弟に面接相手をやってもらったりもした。最終面接は少し緊張してしまったが、まぁ何とかなった。

 

 

普通に就活をした。対策を練り、それなりに時間をかけた。そして受かった。それだけである。他にも保険で3社受けていたが、辞退するつもりである。ずっとニコニコしているバカみたいな学生もいたし、高圧的な面接官もいたし、クソみたい気持ちにも、少しはなったが、思ったよりも大したことなかったなというのが正直な感想。少なくとも、意中の相手に、何をしても全く見向きもされないよりかは、対策がはっきりしているぶん何倍も、楽だった。

 

 

親戚のおじさんが、セミオーダーメイドのスーツを買ってくれた。入学してから、ずっとお世話になっている優しいおじさんである。「昨日のことのように思い出せるのに、もう5年も経ったんですね〜」。雨の中、車を走らせながら、おじさんは、そう呟いた。

 

 

 

それ以外はずっと研究。テロリストのパラソルという小説が面白かった。

 

 

 

 

では。