ほつれた土曜日

 

土曜を潰された憤怒と疲労にため息を吐き伸ばし、全くもってガス欠状態の体に熱いカフェラテだけを「燃料」として流し込むと、財布と買い物袋をポケットに買い出しに出かけた。吹き付ける風はひどく冷たいくせに、ショーウィンドウの明かりや、それに照らされながら歩み腕を組むアベックたちの姿ははやけに普遍的で暖かく、ほつれていく心の糸を紡ぐ術を知らない俺という存在は、ゴミ箱に捨てられた玩具のように、空っぽであった。

 

墓のような静けさで佇む冷たい豚箱(冷蔵庫)は、キャップを閉め忘れたポン酢が、バカになったアナルから垂れ落ちる汚物のように、あたり一面の白を汚しているだけで、口に入れられそうなものといえば、納豆1パックのみという、「お供え物」にしては程度が低すぎる有様。買ってきた物を詰め終えると、IHをキッチンから机に移し、水を浸した小ぶりの鍋を温め始める。

 

圧力平衡が終わった後、もやしを半袋入れ、お茶碗に飯をよそる。例のポン酢を別皿に注ぎ、豚肉をおけば、料理は完成。蛍光灯がつかない、薄暗い部屋で、一人寂しい食前開始の合掌を済ませると、猛然とした勢いで、胃袋へ飯をかきこむ。ムシャムシャと、武者とは言うには妙に痩せすぎの男が、ただひたすらに、おかずと、飯をかきこんだ。

 

 

今週は、インターンと研究発表会があり、心も体も休まらない一週間だった。ボロボロである。ブループリントと数式を書きなぐったルーズリーフは、散文的な日常を指し示し、散らかった部屋と散らかった頭の中は、いつまでたっても、整合性を拒絶する。