夏休み終わり

 

朝飯を済ました後、掃除をし、ギターを背負って、近くの公園へ。

 

 

午前中だというのに公園は、子連れで賑わっていた。中心の遊具から少し離れた、ベンチに腰掛け、ギターを下ろした。お茶を一口飲んだ後、ギターを弾き始める。この日は、先日思い浮かんだ、riffの練習が主な目的であった。

 

 

最初は、雲に隠れていた太陽が徐々に顔をのぞかせ始め、気温がゆっくりと上がっていくのを感じた、額に滴る汗を拭いながら、右手の運指を着実にしていく。なぜギターは、利き手じゃない方の手でコードを作らなければいけないのかと、初心者の頃は疑問に思ったものだが、今になっては、確実に、左手よりも、右手の方が難しいと感じる。特に、クラシックギターは右手の指さばきが、慣れるまではかなり難解である。

 

 

 

ふと、前を見上げると、知らないおじさんが3人。こちらを不思議そうに見つめていた。その中の一人、60代前後のおじいちゃんが、声をかけてきた。「ギター上手いですね」。人当たりの良さそうな温かな笑顔を浮かべていた。さて、ピンボケした世間話が始まるのかと思いきや、急に、宗教のチラシを渡してきて、それを合図と見たのか、隣にいた若い方のおじさんが急に熱っぽく人生について語り始めた。「就職、結婚、人生の目的って、結局のところ、何か分からなくないですか」。俺は、内心、「確かに」と思ったのだが、納得している場合ではないことに気づき、我に返る。少し面倒臭そうな顔をしてみたのだが、おじさんは一向に話を止めず、俺の方も、これ以上、嫌な顔をする気力も湧かず、その後、15分ぐらい、おじさんは、話をし続けた。最終的に、死後硬直の話をし始めて、本当に訳がわからなかったのだが、ただ一つわかったことは、おじさんたちは、人生に、何か救いを求めているということだった。見るからに障害者に見える3人目のおじさんは、両手でペプシを握りしめながら、何か訴えるような目で、じっと俺のことを見ていた。おじさんたちは、人生に、救いを求めていた。それは俺だって、同じだった。

 

おじさん3人組に別れを告げ、少しギターを弾いた後、家に帰る。

 

 

昼飯を食ったあと、練習したriffと、バッキングを録って、重ねてみた。ところどころずれていたが、まぁ、だいたい、イメージしていたようなものは、できたので満足だった。変拍子のイントロが気に入っている。一人でも、二人でギターが弾ける。楽しいものだ。夏休み最後の日、俺は、俺と、ギターを弾いた。

 

 

 

 

 

 

 

また、更新頻度下がると思う。では。

 

 

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