秋雨に諦めて

 

 

煙草をやめようと思ったが、2日が限界だった。机に転がったニコレットが、俺に、乾いた目線を送ってくる。

 

 

何となく吸い始めた煙草だったが、今では完全に、C10H14N2に依存している。

 

 

 

親父も、母も、昔は、煙草を吸っていた。家族に料理を作り終えた後の換気扇の下で、スパナを持ちながら車の下で。別に何とも思わなかった。「美味しいの?」、と尋ねると、決まって、二人は「美味しくないよ」と答えた。

 

 

 

C10H14N2が切れると、足が震え、イライラし、最終的には、頭の中に小さな空洞ができたかのような錯覚に見舞われる。

 

 

 

 

ライターで火をつける瞬間が一番気持ちが良くて、萎んでいた脳みそから、一気に快楽物質が噴き出す。射精の時ほどではないにしろ、それに近いものが、頭の中では起こっているのだろう。

 

 

 

 

一本吸えば、完全に箍が外れた形となり、もう、どうでもよくなった。

 

 

 

 

何かを変えたかった。はずだった。

 

 

 

 

ニコチンのガムを噛んでいて、気づいた。俺は、病人なんだと。依存症なんだと。

 

 

 

 

悲しくはなかった。ただ、笑うこともできなかった。

 

 

 

 

忸怩たる思いは、煙と連れ立ち換気扇に吸い込まれ、九月の夜空に消えていった。

 

 

 

「人生に、諦めを抱いた」という人のうち、いったい何人が、本当に人生を諦めているのだろう。啾啾と虫が鳴く、秋雨の中、そんなことを思った。

 

 

 

 

最近、色々と、底が見えてきた。自分のやっている研究も、カレーライスの味も、他者への本音も、自分自身へも。

 

 

 

 

女に秋波を送る気力すら、わかなくて、家に帰って、自慰して、自炊して、ゴキブリを叩き潰して、いい気になって、人生に辞意を示す気力もわかなくて、ただただ毎日毎日、朝起きて、ブラックコーヒーを飲みながら死んだような顔で学校に行く。

 

 

 

 

自販機の隣に咲いている白い花は、毎日少しずつ、その色を薄めていく。汗をかいて、色褪せて、あの人への想いは、諦めて。

 

 

 

 

 

今年もまた、秋雨に諦めて。